"Busy, busy, busy."

日々の発見や思考の言語化の練習として、備忘録として。日々ああだこうだ考えたことの記録、戯言。

新年度のつれづれ

 

If you want to go quickly, go alone. If you want to go far, go together. (African proverb) 

早く行きたければ一人で行け。遠くへ行きたいならみんなで行け。
(アフリカのことわざ)

 

新年度が始まり、新しい活躍の場で不安と期待に胸を躍らせる人がいる。

一方で、活躍できる場を去らねばならず、後ろ髪をひかれる思いの人もいる。

そして、畑違いの場所から抜け出したいともがきつつも、叶わず心が砕かれそうな人もいる。(私のように)


"If you want to go quickly, go alone. If you want to go far, go together."

「早く行きたければ一人で行け。遠くへ行きたいならみんなで行け。」


こういうアフリカのことわざがあるそうだが、私はこの考えが大好きだ。


私の能力・強みは恐らく、多くの異なる視点を自分の内にもって、人の共感を広げ、裾野を広げていくことができる対話能力、コミュニケーション能力にあると思う。

また、相手の考え方や想いを理解し翻訳して伝えることが得意である。
(もしかしたら、経営者の直下でその想いを伝える参謀的役割というのも、向いていたかもしれない。)


よくある、自分で特定のゴールをセットして達成に向けて猛進し、自分の熱意や想いでもって人を巻き込んでいくリーダーシップのスタイルは、どうやら私のスタイルではない。


上記のリーダーは、派手だ。
そして、自分が何者で、よって何がやりたいのかというのが明確だ。


一方で私の能力は非常に地味だ。


ここ最近は、色んな要因でもって自分の人生のコントロールを失っている感覚に苛まれていた。自分の人生を自分で選択して生きている感覚が、どうにも不足している危機感があった。

そんな中で、上記の派手なリーダーシップを発揮する人が羨ましく感じることもあった。なぜならその種のリーダーは上述のとおり、自分が何者で何がしたいか理解を得やすい。地味なリーダーシップのスタイルの自分は、自分の人生に関しては、目指す方向に持っていくことが難しい場合があると感じていた。


私の興味のベースは、やっぱり人間そのものにある。
現象や物事に興味が無いわけではないが、それ以上に人間そのもの、その人がどんな人なのか、個々人の性質や思考に興味がある。
何を達成するかというゴールは、大事だがその前段に、「人間やその人はどういったもので、何故そのゴールが大事なのか?」という前段の問いが非常に大切だ。
その根源的な問いへの興味が自分のエネルギーの源泉で、幅広い人間への興味につながっている。

ただ一方で、自分のできることを具体的な形で提示し、個別に理解を得て自分の実現したい未来へ自分自身を近づける努力は必要だ。
それがあまりできていない。
そこがないと、結果的にただ不満を並べていることと、現実の結果は変わらない。


人は自分にないもの、自分の異なるものに憧れるものだ。
ただ、それに振り回されるばかりで、自分の感覚を見失ってはいけない。

私らしさを見失わずに、生きていこう。
自分を活かすことこそが、世の中に貢献するということだ。

 

つれづれおわり。

定期的に海外に行くことが人生を豊かにできる理由

友人の結婚式参列のため、ソウルを訪問。

ちきりんさんの以下の記事。ちきりんさんの言うことがだいぶ腹落ちした。

d.hatena.ne.jp

 

数日間ずっと時間を共にして、ストレスが溜まらない人というのはかなり稀有。

同性でも異性でも、安心して時間を共に過ごせるというのはかなり稀有だし大事な要素。長時間ストレスを抱えず安心、信頼できる人関係性はとても貴重なものだろう。

今回のソウル滞在だが、基本的に東京にいるのと大差がない感じがした。
上京して自分で動き回るときと利便性やストレスはあまり変わりない。言葉が分かればもっと違和感がないだろう。

韓国の観光地の人々には対外的に民族性を打ち出して必死になってる姿はもはや見受けられない。危機意識をベースにして自国意識を強く持たなければならない、という切迫感を韓国の人はすでに大して持っていないように見えた。自然体だったという感じ。(むしろ日本の方が今はオリエント的?になっているかもしれない。)

きっとハングルの基本をマスターすれば、地方在住者にとってはソウルは手近で気軽に行ける便利な大市場になる。(地方路線のLCC化も進展しているし)ファッション、マナー、人々の落ち着き、オープンな雰囲気、これらが混ざり合って、自分が仕事を持って飛び込んでも全く違和感がないのではと感じた。(ただし、自分の能力で仕事や人生を切り拓いている場合でないと、現地のしがらみにより捕らわれるだろう。)

ただやはりみんなが同じに見える、同じ一つの答えにみんなが向かっていってるように見えなくもない。(私が外国人目線で見るからよりそう見えるのか?外国人からしたら日本人のスタイルもみな同じに見えるか?)

こうしたアジアの他の大都市と比べた東京の魅力は、やはり雑多なものが集まっていつつ、世界トップレベルの清潔感と治安を維持している点なのかも。

とにかく、物事、選択肢を日本国内に限定して考える必要はない。
良いもの、ほしいものは広くみてアジアで探し経済的に得るべきと発見できたのはいい。

観光地では、日本人の購買力の低下を嫌でも実感させられる。
海外でぼったくられる対象としての日本人のポジションも、今後危ういのかも。(個人的に旅行する上ではラッキーだけど)

 

久しぶりに個人的な海外旅行をして感じたが、普段の私の関心事や言葉が生まれてくる源泉は、日本で動かずいると特定の人間関係から生まれることがほとんどだ。
かなり個人的な呟きで頭がいっぱいになってしまう。視野を広げるために頻繁に移動し、新しい視点やインプットを得ることはとても大事だ。

割と言語学習が得意な人にとって、これから生きていく中でアジアの複数言語を使えるようにしておくというのは非常に有利かも。
投下する時間・お金・精神的コストの割に成果は得やすいかもしれない。(中国語、韓国語は英語に比べて非常に簡単。加えて英語ができればアジアはかなりカバーできる。)

自分は、留学していた時期あたりは、「世界=アメリカ」となっていた、狭い価値観の持ち主だった。私自身、ここ数年で考えが大きく変わった。(世の中も変わったというのも事実だが)

今回は日本人と韓国人カップル(私の友人は韓国人新婦)の結婚式参列のための訪問だったが、出席者の半々が韓国と日本でとてもハッピーでアットホームな式だった。この式自体も、自分や世の中の変化を象徴しているように感じられた。
どちらの国が上位などはなくて、私たちはすでに「アジア市民」なのだろう。

 

自分のことを知らない人たちのいる場所に行く効用


国際交流事業でそもそも事前にやりとりのある場所、自分たちのことをある程度知っている人たちのところへ行くのと、自分が個人的に訪問し、現地のしきたりに合わせるというのでは状況が全く違う。後者の方が圧倒的に学びが大きいし、自分にいい感じの負荷をかけることができる。
人生において、金銭的・時間的コストをかけても定期的にしておくべきことだ。

誰もが英語を身につけられる方法

語学を学ぶ(特にアウトプットを)一番のモチベーションは、日本人にとっては「貢献したい、助けてあげたい気持ち」ではないだろうか?
困っている外国人旅行者に話しかけられれば、(相当シャイな人を除き)一生懸命対応する、おもてなし精神を遺憾なくはっきしようというのが日本人の性だったりする。(日本は特にだと思うが、この性質は結構世界共通かも。例えば、『世界の果てまでイッテQ』の出川イングリッシュのコーナーを見ていると、困って出川イングリッシュを連発している出川に意外と現地人の人は新設で一生懸命助けようとする。「困っている人」が直接助けを求めてくれば、(相当変な人と思われなければ)「相手の目線に立って」コミュニケーションしようという意識が働くのが人情だろう。)

今多くの日本人が一番必要としているスキルはアウトプット、特にスピーキングだろう。これを身につける足かせになっているのは、「しゃべることへの恥ずかしさ」「英語の世界観の視点を持てない」というのが大きな原因ではないだろうか。相手の視点に立ってコミュニケーションしようという意識は、この壁を超える力になると思っている。

考えてみると、学校の教室や英会話教室で英語を学ぶ際に、そういった環境に置かれることはほぼない。先生と生徒という上下関係で、そこに「先生の目線に立ってコミュニケーションしてあげたい」というモチベーションはなかなか働かない。この環境で、先生は弱者ではないのだ。その環境下で積極性を発揮し発言することは、日本の教室内での文脈では「能力をひけらかしたい人」「外国かぶれの人」「先生に取り入りたい人」とも受け取られかねない。(個人的にはこういう「出る杭を打つ」カルチャーは好きではないしデメリットが大きいと思うが、ここでは置いておく。)

英語は所詮時間をかければ誰でも身につけることができる。特別なスキルではない。問題は、「モチベーションの維持」に尽きる。
モチベーションを持ち続けて、学ぶ言語の世界観の視点に立つことができれば、日本人の英語能力は飛躍的に上昇すると思う。

「助けたい」という気持ちをいい意味で利用するため、人為的にこの環境を作り出すことが、英語習得支援の鍵ではないか。
 
具体策は今のところないけど、この気付きをメモしておこう。終わり。

信用のつくりかた

信用のつくりかた

 

どちらかというと私は、細かいことをルールどおりただただきっちりやっていくことに価値を見出していなかった。

(「それに何の意味があるの?とまず疑ってかかることが多い。」)

 

だけれども、「この人は言われたことはちゃんとやる。」「ルールは破らない」という意味での小さな信頼を積み重ねることも大事だ。

 

特に、新しい環境で、自分の信用が0のとき、こうしたことを積み重ねていくしかない。飛び道具は通用しないこともある。

 

ちょっと反省した日でした。

勇気をもつこと、自己効力感をもつこと

Newspicksの「女性リーダーの『敵』」(すごいタイトル。。)というテーマの連載の中で、次の記事が掲載されていた。

 

newspicks.com

 

 

これは本当に良記事

これはびっくりするくらいの良記事。ここまで、女性リーダーの活躍阻害の原因や対処法について、上手に言語化されている記事は見たことがない。

Newspicks有料会員限定だが、是非読んでみてほしい。

 

自分もひとりの働き女子として、男性中心の職場の中で孤立するツラさや働きにくさはこれまでも幾度となく感じてきた。

学生時代は外国語・文学系だったために、これまで自分が女性で特別扱いをされることが全くなかったため、そのギャップに苦労したものだ。

 

そもそも自分が現在の職場(公的機関)を選んだ理由の一つにも、女性が活躍しやすいはずだと考えたことも大きかった。どうせ働くなら一生懸命やって上に上りたいという思いもあったのだ。

就職活動当時はリーマンショック直後。民間企業の多くが採用数を減らし、女子学生は高学歴であっても苦戦を強いられていた。説明会でも直接的に女子はいらないとまで言う会社もあった。特に景気が冷え込み多くの企業がリスクから尻込みしてしまっている中で、私自身はライフステージの変化で退職リスクもある(と考えられていた)女性の活用をポジティブに考えていると思える企業を見つけることは難しかった。

 

そんな中、就職先に最終的に公的機関を自分が選んだのは、民間企業のように短期的な業績に影響を受けることが少ない公的機関であれば、女性の登用がなされやすいのではと考えたからだ。

ただし現実は意外とそんなにシンプルではなかった。理屈以外の部分に様々影響を受け、組織のカルチャーはできあがっているということが実際に働いてみるとわかった。公的機関だからといって、民間企業と異なり景気に左右されにくいからといって、女性が活躍するカルチャーがあるかというとそうでもなかった。

 

このように自分ごととして苦労した経験もあるが、それだけでなく、これまでの同質な中年男性の中でばかり意思決定やキャリアのチャンスが回されている現状の昭和型マネジメントには個人的に非常に問題意識を持っていた。

 

女性の活躍の話になると、多くの主張では男性批判や女性礼賛のどちらかに傾きがち。

ただし岡島さんの記事は、冷静に女性の陥りがちな10大失病を分析し、以下が重要だと述べられている。

 

一口に「自信」といっても、その種類は2つに分かれます。
1つは、過去の自分への自信から生まれる「自己肯定感」。
2つ目は、未来の自分への自信である「自己効力感」です。「未体験のことだが、私ならきっと達成できるのではないか」と信じられる力のことです。
自己肯定感に関しては、年齢が若い女性はさほど実績がないために、なくても仕方がないといえます。より重要なのは、自己効力感です。
これがないと、未経験のチャレンジや修羅場を前にして、「私ならできるかも」という気持ちを持って打席に立てないからです。

 

 また、アルバートバンデューラが言う、自己効力感を持つための4つの要素を挙げられているが、すごく納得感がある。(こんな主張があるのを知らなかった。)

 

岡島さんが述べるように、これは女性の活躍に限った話ではない。

多様な個人の才能を活かすリーダーシップのあり方として、非常に参考になる。何より普段もやっと感じていたことがすっきりと言語化されている気がして非常にスカッとした。

 

現状を嘆き、男性または女性を一方的に非難するだけでは問題は解決しない。

こうした記事の拡散により、昭和型マネジメントから脱却する組織が増えることを願ってやまない。

アウトプット偏重型になるには

まずやってみること。

 

色んな人が行動の大切さをとき、昨今では「やってみなはれ」の精神の大切さを説く人や自己啓発書関連を多く目にするようになってきている。

自分の経験を振り返ってみても、まず見切り発車で行動を起こしてみてから物事が一気に進みだしたり、悩んでいたことについてもやが晴れるような感覚を得ることもある。

 

ただし日常生活全般を振り返ると、基本的にどうしてもインプット偏重になってしまうことがほとんどだ。

何故そうなってしまうのか、無意識にアウトプットよりもインプットに偏ってしまう理由、志向が自分の中にあるので、そのメカニズムと解き明かしてみることで、同じような動機付けでアウトプットの割合を増やしていくことができるはず。と思い、理由を考えてみることにした。

 

何故インプットが楽しくて、そればかりやってしまうのか?

 

単純に新しい知識の獲得や新たな視点を得ることが楽しい。

 私自身、自分の中にスキルや知識を蓄積することそれ自体が楽しいと感じる性質がある。知識を蓄積していくこと、語学運用能力のようなスキルを自分の中に蓄積していくことそれ自体が楽しい。

 そして更に突き詰めて、何故では自分に知識・スキルを蓄積することが好きかというと、これは「手っ取り早く効果を実感できるから」ということなのだと思う。知識やスキルを蓄積することそれ自体は、身につけることによって「それ以前とは違う自分になっている」という、「変化」が起きていることを、自分では実感できているからなのではないかと思う。

 

 

アウトプットの方向性とやり方を考えるのが億劫 

 それに比べアウトプットについては、多少なりとも目的と方向性を持つことを求められる気がする。「何故やるのか?」「どうやってやるのか?」等多少なりとも問いを発して、ぼんやりとでもその答えを持つ必要がある気がしてしまう。

  そのプロセスが億劫で、ひとまず興味のある知識を貪る形になっていたのではないか。

 

自然にアウトプットの割合を増やすコツ

 

上記の原因が見えてくると、精神的コストをかけすぎずにアウトプット偏重になるコツが自分なりに見えてくる。

 

変化/結果が見えにくい

→ 目に見える変化が起きる方法に変える。

 

理由や手法を考えるのが面倒

→ なぜか考えすぎる前に、まず感覚で動いてみる。

→ やり方もやってみてからリバイスしていくようにする。

 

これで、少しはアウトプットの割合をあげられるのではないか。

備忘録的に。

地方におけるスタートアップ/ベンチャーエコシステムの現状とこれから

※自分が仕事やプライベートで足を運んで感じた私見。

 

東京でスタートアップのエコシステム作りが昨今盛り上がりを見せ、スタートアップはもちろんそれを取り巻く環境も大きく変化している。

そして東京だけでなく、地方創生の流れを受け地方でもスタートアップ/ベンチャーエコシステム作りもだんだんと拡大してきている。

 

現時点で全国的に目立った動きをしているのは、

 

 

の印象が強い。(勉強不足で偏りがあるかと思う。)

これからはこの動きは全国に拡大していき、これまでの大企業誘致ならぬ、有望なスタートアップやその予備軍を求めて各地方が競争をする時代に本格的に入っていくのだろう。

日本の伝統的大企業の不振、製造業の海外シフトといった世の中の流れを踏まえると、東京だけでなく日本全体で「仕事を創る」ということがもっと早くに重要視されていてもよかったような気もするが、地方での創業が盛り上がってきたのはごく最近、ここ数年だと感じている。

世界的なスタートアップ支援団体のSlushでも「起業することはカッコイイ」という空気を作り出すことをミッションとして掲げているが、こうした「空気を」を醸成していくことも非常に重要なのだなと、ここ最近実感している。

 

また、個人の生き方として起業家的生き方を目指す人が増えている。自分の人生においてやりたいミッションを通じて世の中を変革していきたい、そういう意味で「自分の人生」を生きたいという人が増えているように思う。

私自身も仕事を通じて自分らしく生きたいし、そういう人が日本中に増えてほしいと思っている。

 

そもそもなぜ今の仕事を選んだのだろうか?

振り返って考えてみると、決め手は「自由度(裁量というより仕事の内容)の大きさ」「社会のためになることをする を第一目的に行動できる」という部分に惹かれていたのかもしれない。(当時は言語化できていなかったが。)

 

大学在学中に米国留学をした際に、周囲からどう見られるかや、自分の能力不足などを言い訳にせずやりたいことを貫こうとしている人たちに会い、自分も能力不足は承知だがやりたいことを貫いてみたくなり、再度留学に向けた資金や試験の準備に邁進したことがあった。(しかし退路を絶って再度自分に向き合った結果、違う道を探すべきと思い至った。職人的に一つの道を追究していく生き方は私らしくないと気づいた。今となっては、自分の努力や覚悟不足、そして人生のもっと早い段階でこうした思考錯誤をしていればと思うこともあるが、残念ながら人生に"undo botton"はない。)

 

今では、自分が組織の中でどうしたら起業家的に生きられるか、自分の思いを持って仕事や社会を巻き込んでいけるかが自分の中でのテーマだと思っている。

組織としては個人に勝るリソースがあり、ここがリスクをとって動けるかが地域や社会にとって大きな鍵になるはずだ。もっと組織内外に、挑戦する人/挑戦を楽しむ人を増やしていきたい。

 

スタートアップ界隈からもらうパワー、挑戦することはカッコイイという価値観を受け取って、公的機関にも伝播していきたい。ここが変われば世の中も変わるはずだと思っている。