アウトプット偏重型になるには
まずやってみること。
色んな人が行動の大切さをとき、昨今では「やってみなはれ」の精神の大切さを説く人や自己啓発書関連を多く目にするようになってきている。
自分の経験を振り返ってみても、まず見切り発車で行動を起こしてみてから物事が一気に進みだしたり、悩んでいたことについてもやが晴れるような感覚を得ることもある。
ただし日常生活全般を振り返ると、基本的にどうしてもインプット偏重になってしまうことがほとんどだ。
何故そうなってしまうのか、無意識にアウトプットよりもインプットに偏ってしまう理由、志向が自分の中にあるので、そのメカニズムと解き明かしてみることで、同じような動機付けでアウトプットの割合を増やしていくことができるはず。と思い、理由を考えてみることにした。
何故インプットが楽しくて、そればかりやってしまうのか?
単純に新しい知識の獲得や新たな視点を得ることが楽しい。
私自身、自分の中にスキルや知識を蓄積することそれ自体が楽しいと感じる性質がある。知識を蓄積していくこと、語学運用能力のようなスキルを自分の中に蓄積していくことそれ自体が楽しい。
そして更に突き詰めて、何故では自分に知識・スキルを蓄積することが好きかというと、これは「手っ取り早く効果を実感できるから」ということなのだと思う。知識やスキルを蓄積することそれ自体は、身につけることによって「それ以前とは違う自分になっている」という、「変化」が起きていることを、自分では実感できているからなのではないかと思う。
アウトプットの方向性とやり方を考えるのが億劫
それに比べアウトプットについては、多少なりとも目的と方向性を持つことを求められる気がする。「何故やるのか?」「どうやってやるのか?」等多少なりとも問いを発して、ぼんやりとでもその答えを持つ必要がある気がしてしまう。
そのプロセスが億劫で、ひとまず興味のある知識を貪る形になっていたのではないか。
自然にアウトプットの割合を増やすコツ
上記の原因が見えてくると、精神的コストをかけすぎずにアウトプット偏重になるコツが自分なりに見えてくる。
変化/結果が見えにくい
→ 目に見える変化が起きる方法に変える。
理由や手法を考えるのが面倒
→ なぜか考えすぎる前に、まず感覚で動いてみる。
→ やり方もやってみてからリバイスしていくようにする。
これで、少しはアウトプットの割合をあげられるのではないか。
備忘録的に。