"Busy, busy, busy."

日々の発見や思考の言語化の練習として、備忘録として。日々ああだこうだ考えたことの記録、戯言。

定期的に海外に行くことが人生を豊かにできる理由

友人の結婚式参列のため、ソウルを訪問。

ちきりんさんの以下の記事。ちきりんさんの言うことがだいぶ腹落ちした。

d.hatena.ne.jp

 

数日間ずっと時間を共にして、ストレスが溜まらない人というのはかなり稀有。

同性でも異性でも、安心して時間を共に過ごせるというのはかなり稀有だし大事な要素。長時間ストレスを抱えず安心、信頼できる人関係性はとても貴重なものだろう。

今回のソウル滞在だが、基本的に東京にいるのと大差がない感じがした。
上京して自分で動き回るときと利便性やストレスはあまり変わりない。言葉が分かればもっと違和感がないだろう。

韓国の観光地の人々には対外的に民族性を打ち出して必死になってる姿はもはや見受けられない。危機意識をベースにして自国意識を強く持たなければならない、という切迫感を韓国の人はすでに大して持っていないように見えた。自然体だったという感じ。(むしろ日本の方が今はオリエント的?になっているかもしれない。)

きっとハングルの基本をマスターすれば、地方在住者にとってはソウルは手近で気軽に行ける便利な大市場になる。(地方路線のLCC化も進展しているし)ファッション、マナー、人々の落ち着き、オープンな雰囲気、これらが混ざり合って、自分が仕事を持って飛び込んでも全く違和感がないのではと感じた。(ただし、自分の能力で仕事や人生を切り拓いている場合でないと、現地のしがらみにより捕らわれるだろう。)

ただやはりみんなが同じに見える、同じ一つの答えにみんなが向かっていってるように見えなくもない。(私が外国人目線で見るからよりそう見えるのか?外国人からしたら日本人のスタイルもみな同じに見えるか?)

こうしたアジアの他の大都市と比べた東京の魅力は、やはり雑多なものが集まっていつつ、世界トップレベルの清潔感と治安を維持している点なのかも。

とにかく、物事、選択肢を日本国内に限定して考える必要はない。
良いもの、ほしいものは広くみてアジアで探し経済的に得るべきと発見できたのはいい。

観光地では、日本人の購買力の低下を嫌でも実感させられる。
海外でぼったくられる対象としての日本人のポジションも、今後危ういのかも。(個人的に旅行する上ではラッキーだけど)

 

久しぶりに個人的な海外旅行をして感じたが、普段の私の関心事や言葉が生まれてくる源泉は、日本で動かずいると特定の人間関係から生まれることがほとんどだ。
かなり個人的な呟きで頭がいっぱいになってしまう。視野を広げるために頻繁に移動し、新しい視点やインプットを得ることはとても大事だ。

割と言語学習が得意な人にとって、これから生きていく中でアジアの複数言語を使えるようにしておくというのは非常に有利かも。
投下する時間・お金・精神的コストの割に成果は得やすいかもしれない。(中国語、韓国語は英語に比べて非常に簡単。加えて英語ができればアジアはかなりカバーできる。)

自分は、留学していた時期あたりは、「世界=アメリカ」となっていた、狭い価値観の持ち主だった。私自身、ここ数年で考えが大きく変わった。(世の中も変わったというのも事実だが)

今回は日本人と韓国人カップル(私の友人は韓国人新婦)の結婚式参列のための訪問だったが、出席者の半々が韓国と日本でとてもハッピーでアットホームな式だった。この式自体も、自分や世の中の変化を象徴しているように感じられた。
どちらの国が上位などはなくて、私たちはすでに「アジア市民」なのだろう。

 

自分のことを知らない人たちのいる場所に行く効用


国際交流事業でそもそも事前にやりとりのある場所、自分たちのことをある程度知っている人たちのところへ行くのと、自分が個人的に訪問し、現地のしきたりに合わせるというのでは状況が全く違う。後者の方が圧倒的に学びが大きいし、自分にいい感じの負荷をかけることができる。
人生において、金銭的・時間的コストをかけても定期的にしておくべきことだ。